花の歳時記

2007

睦月・如月・弥生・卯月
新年の御慶めでたく申し納め候

寒椿 老いてますます 従わず
  中原幸子

昨年の暮れ同級生の御尊父がプチ家出を決行したと
聞き及んだ折に、ふとこの句が頭に浮かんだ。。
大概は気力体力の衰えと共に分別臭く為らざるを得ない
晩年に、この気骨でやんちゃな心意気が嬉しかった!
人生の師とも仰ぎたい御仁は又、
吾が父とも同級生で大正生まれの86歳〜
30年後に同じことが出来るか
能天気に考えている元旦です。
新春に目出度い男の酒を酌み交わしたいものだ

寒椿:ツバキ科

今年の年賀状は寒椿!

野生種のツバキはヤブツバキ・ユキツバキ
その交配種のユキバタツバキだが。。
山茶花(ツバキ科)を含めて園芸種がやたらと多い、
〜で、
寒椿は花弁がバラバラに散る、雄しべが1本1本
離れている〜など、山茶花の特徴があり〜実は、
山茶花の品種に入るようだ。寒椿は山茶花なのだ!

椿を含めて桜、菖蒲、野菊、イネ科の植物〜等々
7年前から山野草の先生について里山を歩いている
いまだに、似た特徴を持った植物の区別が付かない

人間はおかしな動物で「違う」と感じない限り、
相当異なる特徴を持っていても「同じ」と判断してしまうことがある。同じように見えるのだ!

「何年も何回も説明してるのに未だに解りませんか」と、穏やかで賢明な先生は“けっして言わない”〜が、
彼女たちはその違いがはっきり解っているのだ。。

何かの拍子に「違う」を感じると、小さな違いが気になって来る事もある〜最近少しだけ~そう思う!

この「判断」於ける人間の特性は植物だけにではなく
相手の気持ちや心に対する判断でも同じようだ。。

信じている時と疑っている時とでは、
同じ人間に対しての気持ちや評価が、がらりと変わってしまうことが往々にしてある訳でして。。

睦月の花

今年のテーマは、「信じていたい!」「信じられていたい!」


「あなたは変わっている、きっと自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、
いつかはまた、その同じ理由からあなたがきらいになるかも知れない」(カミユ『異邦人』)
ムルソーに対するマリイの心情〜を考えつつ。。


卯月の花
HPの「爺の散歩(花と野翁)」のトップ頁に「やはり野に於け蓮華草」を’02年に配して、5年経った。。
やっと歳時記に「蓮華草」をアップすることにした。この句には、
上の句があって
「手に取るなやはり野におけ蓮華草」となる。
滝野瓢水(ひょうすい)と云う俳人が遊女を身請けしようとした仲間を諭した句だそうだ。。 

根近くの根粒に根粒菌があって、
窒素分を吸収するので緑肥として江戸時代から田圃に植えられるようになった。

明治・大正・昭和と重宝され昭和10年〜20年代には蓮華畑の全盛期となったが、
その後は安くて扱いやすい化学肥料に取って代わられ〜
今ではなかなか目に留まらなくなっている。

「レンゲ」と云えば中華料理を連想し、「蓮華」と書けばハスの花を連想する。
〜で、「蓮華草」と云えば 『何それ?』ってなる訳でして。。

「ゲンゲ」というのが標準和名で漢字では「紫雲英」と書く。マメ科です。
♪〜春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
においめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよとささやきながら〜♪


童謡「春の小川」〜は、当然知らない世代が多くなってきた。。

爺の子供の頃はこの花との日常があった!
春になって一面の蓮華畑に寝転がって目の前の蓮華草から春霞の空を眺めたものです。。
カバンを枕にして淡い恋心を想い耽ったことも昨日のように思い出される〜♪

「野にあればおのがままなり蓮華草」

小泉純一郎の所信表明演説で「米百俵の精神」で有名になった長岡藩の大参事:小林虎三郎の話〜
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
同時期やはり虎三郎と志をともにした大参事:三島億二郎も戊辰戦争敗戦の窮状を救った優れた指導者です。

この句は億二郎が中央の政府に藩の窮状を訴えて事成らずに帰る途中で詠んだとされている。
億二郎が復興の理想として揚げたのは“救済を願うよりも自立する”という自立の誇りでした。
賊軍として破れ、新政府の補助を期待できないという事情もあったと考えられるが
哀れみを受けることを潔しとしない長岡人の誇りを示すものです。

それにしても、旧幕府の諸藩が、みな錦に御旗の薩長連合軍になびく中で、新潟・福島・山形・秋田の幾つかの藩が
最後まで志を貫いた実直さ、不器用さは愚直な県民性となって残っているような気がしてならない。(爺は新潟出身^^)

億二郎は晩年北海道に渡り開拓者となり「野にあればおのがままなり蓮華草」を地で貫いた!